第1節 農林学校の出発
1901年(明治34)10月11日、県立農林学校は、安城村花ノ木地内の碧海郡農会事務所を仮校舎として、職員8名、生徒112名、(予科45名、農家50名、林科17名)をもって開校しました。
同年11月1日の午後、第1回の職員会議が開催され、その席上で、山崎校長は学校のとるべき方針を発表しました。
(1) この学校は、農作業に従事する者の必要とする学問(知識・技術)を授けるところにある。
(2) 日本の農民として立つべき人物を養成する所としたいから、教える方ばかりでなく育てる方にも大いに努めてほしい。
(3) 生徒に礼儀作法を教え、規律を正しくすることを学ばせるようにしたい。
(4) 教室ばかりでなく、あらゆる場所で、品性(人格)の修養をなすようにしたい。
というものでありました。この教育方針が根本理念となって、やがて校訓(生徒心得)として明示されることになります。山崎延吉先生のさらに詳しい歴史は次のページから紹介しています。